2020.07.01 放送後記

2020年07月04日

連載小説「僕たちの家ではビートルズがかかる」

第二話

はじめてのダーツは、ものの30分で飽きてしまった。いくら投げても、ブルには入りそうもない。一方、沙織は見事にハマってしまったようで、一心不乱に投擲を続けている。僕はベンチに座って麦茶を飲みながら、そんな彼女を眺めていた。

渋谷へ来たのは何年振りだろう。学生時代に一度だけ、級友が組んでいたロックバンドのライブを見るために訪れたことがある。結構人気があるバンドだったようで、道玄坂のはずれにある狭いライブハウスは人で埋め尽くされていた。とても熱狂的な空間だったが、僕は最後までイマイチ乗り切れなかった。というのも、隣にいた熱狂的ファンらしき女性が、演奏中ずっと一緒に大声で歌っていたのだ。完全にボーカルとユニゾンしていた。僕はバンドのパフォーマンスをしっかりと見たかったのだが、余計なボーカルが1人増えていたおかげで、歌詞の内容だけがやたらと耳に飛び込んできたのだった。結局、「塩をふりすぎたビーフ、それをフォークで刺したチーフ」というイミフなリリックがやたら脳内再生され、僕はその日の晩眠れなくなってしまったのだった。

今日だって、急に「映画観たい」と言い出した沙織に引っ張られる形で渋谷へ来たが、正直あまり乗り気ではなかった。金曜日の夜ではあったが、明日は顧問をしている部活の練習試合があるのだ。朝も早いので、早く寝たかった。だが、今日は沙織に付き合おうと決めていた。なぜなら、最近彼女はピリピリしていたからである。

その原因は、「タドコロ」だ。

「タドコロ(さん)」は、沙織が働いている書店の先輩社員である。正確に言えば、彼は最近本社から頻繁に応援で来る人らしい。この御方が、彼女に言わせれば「この四半世紀で最もウザい」人らしい。人当たりは悪く無いらしいのだが、なんでも「俺が来てやったぜ/やってやったぜ」アピールがすごいらしいのだ。

例えば、とある日。

タドコロ(さん)「山本さああんおつかれええ!!!いやあ今日は雨の中亀戸から20キロバイク飛ばしてきたよおお!!!何分かかったと思う?」

沙織「お疲れ様です...え...一時間くらいですかね...」

タドコロ(さん)「そんなわけないじゃあああああん!!!1時間半かかったの!!!!1時間半!!!もう遅刻するかと思ったよおおお」

沙織「(そんなに変わらないじゃん)(それに呼んでねえよ)お疲れ様です...」

というやりとりがあったり。勤務中も、

タドコロ(さん)「じゃっ、俺は次の店回るから。とりあえず新刊の陳列、POP作成、あと精算やって、売り場全体もザッとメンテしといたから。本来これらは店側がやることなんだけど、人足りないもんね(笑)俺昨日は松戸店で同じことしたわ(笑)ここで2店舗目(笑)次は押上で同じことしてくるね(笑)」

沙織「あり...がとう...ございます...」

タドコロ(さん)「まあ俺の場合は経験があるからね!!!!山本さんも頑張って☆」

沙織「は....はい....」

これで終わりかと思いきや、

タドコロ(さん)「つまり経験っていうのは、俺昔バイヤーやってて今のアリオカバイヤーよりも長い間...」

といった具合に話が続くものだから、沙織はとんでもなくストレスを溜めていた。最近の彼女の口癖は、「タドコロの顔面にストロングゼロをぶちまけるまでは死ねない」だった。たくましくて結構である。

そんなピリピリイライラ気味の沙織は、ストレス発散に映画を見ようと、こうして僕を連れ出したわけである。そしてシアターの開場までにまだ時間があったため、僕たちはダーツバーへ来ていた。彼女は円形の的を「タドコロ(さん)」と呼び、恐ろしい形相で矢を突き刺していた。なんだか僕は、彼にやや嫉妬し始めていた。いくら何でも「タドコロ(さん)」のことばかりではないか。

開演時間が近づいてきたので、僕たちはダーツバーを後にした。沙織がTwitterでたまたま発見したというお目当のフィンランド映画は、やや下品だったが面白かった。沙織も同じような感想だったみたいで、明らかに機嫌が良くなっていた。

この日の「ビートルズ報告会」は、帰りの車中で行われた。「ビートルズ報告会」というのは、その日一番印象的だったことを互いが話す、というただそれだけのものである。報告の後に沙織セレクトのビートルズ楽曲が流されるので、このような名称となっている。

僕はもちろん、ダーツにハマる沙織のことを話した。あんなに怖い顔をしてダーツする人、絶対に沙織だけだよと言うと、彼女はケラケラ笑っていた。

沙織の報告は、映画の鑑賞中に僕のお腹が鳴っていた、というものだった。どうやら気づかれていたようだ。彼女曰く、僕のお腹が気になって後半はストーリーがあまり頭に入ってこなかった、とのことだった。

僕が「鑑賞の邪魔をして申し訳ない」と言うと、沙織は「うん、邪魔だった。でもモゾモゾ動いて誤魔化そうとするのがめっちゃ面白かった」と相変わらずケラケラ笑っていた。

面白かったのなら、まあいいか。ちょっとでも日頃の心労が軽減されたのなら、何よりである。

空いている夜の国道を走りながら、僕はいつもの質問をした。

「今日の曲は何でしょう?」

沙織はハンドル横のオーディオプレーヤーにCDを入れると、笑顔のままシャウトした。

「ロール・オーバー・ベートーベン!!!」

軽快なドラムビートとクラップに乗って、車はドンドン進んでいく。

僕たちの家(今日は車)では、今日もビートルズがかかる。